ADHDエンジニアのL2キャッシュ

ADHDの能力者。思いついたことが消え去ってしまわないようにキャッシュアウトする場所です。INBOX的な役割を兼ねているので混沌としています。

まず始めに言葉あり

「まず始めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神であった」(ヨハネ福音書より)

聖書に関する知識は殆ど持ち合わせていないが、上記の一節は個人的に非常に気に入っている。

そして最初のエントリに相応しいと思い引用した。

(若干それに固執して開設から間が空いたのは反省しよう)

 

そう、まず初めに言葉があったのだ。

尤も自分はキリシタンでもなければ一神教徒でもなく、宇宙の始まりのエピソードに関しては物理学者の語るに耳を貸す派だ。しかしそれを差し置いてもまず初めに言葉あり、とはストンと腑に落ちるというか、真理をついていると思うのだ。認知心理学を齧ったことのある人には共感が得られるかもしれない。

特に個人的に評価しているのは"Logos"を『言葉』と訳した点であろう。

詳細はWikiっていただくにして、LogosはLogicの語源にあたり、論理・理性と言った意味も含有する。Logosはキリストであるとかいろいろな解釈が有るようだが、その辺の細かい議論は神学者に丸投げして、ただ『言葉』について考察するに、まさしく言葉とは論理であり理性そのものであると思うのだ。

言葉の本質とはまさしく論理である。論理とは言葉であると言ってもいい。論理を記述すればそれは言葉になり、言葉の構造とは即ち論理なのだ。聡明な人なら文法というものに考察が至るだろう。厳密な言い方をすれば、構文があり文がある。文は構文から導出され、構文は文の集合から同定される。興味深いのは文化的背景を無視して形式的に言語を定義した場合、おおよそこの世の記述可能なものは全て何らかの言語であるといえるところだ。実際にインターネットコンテンツが全て人工言語で記述されていることを考えればその表現範囲の広大さは実感いただけるだろう。(そうでなければCPUが解釈できない)

古のピュタゴラス学派は「アルケー(根源)は数である」と考えていたそうだが、論理機構を備えたものに着目していたという共通点はありつつも、言葉のほうが全てを記述するには優位であろう。言葉は再帰の機構を備える。故に無限を扱うことが出来るからだ。

言葉には人間の認知の上でも重要な意味を持つ。まずそもそもからして、名前のついていないものを我々は認識することができない。目の前に犬がいればああ犬だなとその存在を同定し解釈する事ができる。たとえ見ず知らずの生き物でも「なんか白くて、うねうねして、、、」と不気味がりながらもより表現範囲の広い言葉を組み合わせて対象を認識しようとする。それが全くこの世の言葉で表現できない『何か』であったら、我々はどうやってそれを認識するのだろう?

いや、超常的な存在にすら我々は『神』という言葉で区分して管理しているのだ。たとえ何事にも形容し得ないとしても、『形容し得ない』という否定の論理でその存在はある程度同定されてしまう。そういう意味では言葉に表現できないものはない。

さらに先程の形式的な言語の定義に立ち戻ると、おおよそ記述可能なこの世のすべては言語であるといえる。そしてそれらには文法がある。つまるところ、そもそも存在するということは即ちただそれだけで言語なのである。

ここまで思考が至り最初に立ち戻る。(ここではアルケーとすべきか?笑)

なるほど、まず初めに言葉があるわけだ。

そして万物は言葉であるのだ。

そしてこれからここに言葉を記そう。