過労死が許されない5つの理由
巷はトランプが作ってるバカの壁で盛り上がっていますが、 知人が意識高い系な感じで記事を更新していたので、全然関係ない温めていたネタで更新です。
サムライとハラキリと過労死の国ニッポン。 その通勤の過酷さたるやアウシュビッツのトラウマでユダヤ人を戦かせ、 その労働時間の長さたるや。。。。まぁ色々データはありますが、あちこちが都合のいい統計を引っ張ってきてるので、データ分析は偉い人が勝手に盛り上がってください。
まぁプレイ時間99:99になっていただくのも、本人が自由なんでそれはそれで結構な話なんですが、死んでもらうのは流石にまずい。 観客アリーナ席からドヤ顔ダブルピースで『逃げ出さない奴の自己責任』『死ぬのは社畜、死なないのはよく訓練された社畜』『私の残業時間は5300です』『日本はワシが育てた』とか好き勝手言っていただくのも各々の勝手なんですが、自己責任で片付ける訳にはいかないですよという理由を少しだけ真面目に考えてみました。
1. 人を殺してはいけない
なんとびっくり初耳の人も多いと思うが人を殺してはいけないのである。
故意に人を殺した場合は殺人罪が適用され、過失の場合は過失致死傷罪が適用されます。
過労死でこれが適用されない理由はよくわからない。
民事だけで燃え尽きてしまうのかもしれないですね。
一番しょうもない理由
2. 社会秩序が維持できない
過労死するということはその手前の状態の人が相当数いるということです。
肉体的or精神的に限界を迎えた人が、関係者各位に自殺のご挨拶をすませて自宅でぽっくり死んでくれれば、企業も不動産屋さんも親戚一同あらあらうふふの最高にサイコな世界の出来上がりですが、死というのは突然にやってきます。
人が一人死ぬとというのは如何に無縁社会といっても本当に大事になります。
しかもいつどこで死ぬかわからないので電車が止まったりします。
精神的に追い詰められた人間が剣の舞で攻撃力がグーンと上がった!なんて事案も有るので、絶対無敵君以外は自己責任とは言えないと思います。
3. 労働の再生産が行われない
更に視点を高くすると、労働の再生産が断ち切られます。
労働は本来再生産されます。一日精一杯働けばもう労働者は労働力を供給できませんが、休息を取ることでまた働いて労働力を供給することができます。
そしてそれに必要な費用のことを労働の再生産コストと言います。
ゆうなれば電池を再充電するコストです。これがおよそ各業界の平均給料と同じくらいになることが分かっています。
しかし死んでしまったり精神的肉体的に破壊されると二度と労働力を供給できません。
そして組織ないの労働力が欠乏します。
こうなると組織は周囲から労働力を取り入るほかなくなります。
ちなみに生物学でも同様の振る舞いをして急成長する組織があります。がん細胞です。
4. 社会投資の破綻
さらに視点を広げて人1人の一生を見ていきましょう。
人間は何もできない状態で生まれてきます。
何もできない人間に対して周囲が将来を見据えていわば投資をしていきます。
これは直近では母親で、両親、家族、兄弟、地域、国家、場合によっては他国からも資金が投入されています。
その金額は先進国の高度な教育を受けた市民ならば一人辺り億単位に上るでしょう。
身内はともかく地域や国家が膨大な金額を投入するのは将来的にペイされることを期待しているからです。
しかし20代で過労死した場合、社会が期待を込めて投資した資金が社会に還元される前に摘み取られてしまいます。
それも一企業の私的な利益のみのためにです。
このような不平等が是正されないならば、残念ながら人を育てるのは不適当な投資と判断せざるを得ません。
合理的な判断を下すなら一切の教育関連機関を潰して優秀な労働者のヘッジハントに資金を回すほうが正しいことになります。
5. 経済停滞
さらに世代をまたぐ視点まで広げてみます。
まず労働の再生産サイクルが破壊されることで労働の再生産が行われません。
また過労死が存在するということは、その家計の労働力が一人分喪失するというリスクが内在するということです。
また死に至らなくても永久的に労働能力を簒奪されるリスクが存在します。
そのリスクが高まれば高まるほど、リスクヘッジに割り当てられる資金は膨らみ消費が鈍化します。
またリスク回避として労働しない過労死のリスクの少ない国に移転するという選択肢もあります。
まとめ
過労死は当人が死ぬだけでなくこれだけの悪影響を及ぼします。
当事者の自己責任ではなく司法に対する挑発であり、社会に対する略奪であり、国家に対する反逆行為であることを考えれば他人事ではないのです。
そして判断力が鈍る前に会社をやめましょう。
壊れ始めてる人が居たら拉致してでも辞めさせましょう。
訴えられればそれはそれで逆転裁判ごっこできるいい機会ですしね。一度被告席にも立ってみたいものです。