ADHDエンジニアのL2キャッシュ

ADHDの能力を駆使して自由な発想を落としていくよ

I am a pen.

構文的に正しくても意味は通っていない。

もっともなことを言っているようで何も主張していない。

わりとあるあるな話。

 

さて中身の伴わない文章はどのようにして作れらてしまうのでしょうか?

さて今回話するのは物事の本質という重厚なテーマについて話してみましょう。

本質と言うのはまず何かを定義するにあたってまず考えるべきは本当に本質にはそれがそれと自己決定できる本質を、本来的に内在させているかということを考慮しないといけません。

あるものを我々が知覚認識する時、それは必ず表面的なものです。表面的は直感的であり定性的です。故に個人的で独断的です。

定量的な指標というのはそれ自体が測定というプロセスにより意識的に決定されることで対象の客観的な物理量を取得し、つまりそれは抽象化された、つまり実存とは切り離された概念へと当てはめることに相当します。ここで物事がより本質的であるためには概念化のプロセスというのは必要不可欠であるということがいえます。なぜなら本質とは相対的に静的であり、本質から動的に演繹された事象が表面的な現象であるからです。

そしてその演繹プロセスそのものが本質の本質であるとあるといえます。

なぜなら本質は本来的に直接知覚可能な量ではなく、本源的に知的創作物であることが自明であるからです。

ゆえにこそ私たちは本質を見抜くときに人間的なスキーマに頼らざる元来排除されるべき主観性が本当の意味で排斥されることはなく、それの最小化に務めることにこそ論理学の本質であるわけです。

だから私たちは本当の意味で本質を知覚するために、まず本来的本質性について考えなければならないです。

 

ほら中身伴ってなかったでしょう?