ADHDエンジニアのL2キャッシュ

ADHDの能力を駆使して自由な発想を落としていくよ

ソクラテスは死なない

パラレルワード、並行世界

その言葉の意味を知らないものは殆ど居ないだろう。(知らない人はGoogle先生に聞こう)

そしてどこかの世界においてかの哲人は不死身であるかもしれない。

 

論理には2つの種類が存在する。帰納と演繹である。

演繹とはより一般的な前提から特殊な結論を導出する論理であり、帰納は逆に特殊な事例の集合から一般的法則を導出するプロセスである。演繹論理のうち尤も高名なものが三段論法であり、「人間は死ぬ」かつ「ソクラテスさんは人間である」故に「ソクラテスさんは死ぬ」は余りに有名な例文である。

演繹には『前提が真であれば必ず結論も真になる』という重要な性質がある。では前提が偽なら結論はどうなるか?実は真偽どちらもとり得る。このような論理関係を「A→B」と記号で記したりする。Aが前提でBが結論で、「AならばB」といったりもする。
演繹とはAがわかっているときにBを求めるプロセスだ。

帰納とは逆にBからAを求めるプロセスであるが、原則的にBが真であってもAが真であると保証することはできない。
「なんでホタルすぐ死んでしまうん?」という問いに絶対的に正しい法則を得る手段はないのである。

上記のことを踏まえると、何らかの手段で前提を一致させないと、そもそも論理というのがまるで役に立たないということが分かる。
いかに緻密で抜けのない完璧な理論を駆使しても、前提が異なっていなければ同じ結論には到達しない。
議論が平行線になった場合、大半は前提を共有できて居ない。(若しくは一方が論理的に考える思考を持ち合わせていないかだ)
ゆえにこの場合はいかに自分が論理的であるかを説明すること、また相手の論理的欠陥を探ることにあまり意味はない。
まず持論を展開する前に共通した前提を合意する必要があるのだ。・・・・と思うだろう?

がそもそもの前提こそが間違っている。
即ち、「同じ結論に至るべき」という前提こそだ。
つまるところ事の真偽に以前に前提の一致性以前になぜ特定の議論をふっかけるのが趣味の人達は同一結論に固執するのかという話だ。
たしかに前提を共有しなければいつまでたっても平行線だ。
結論を出さなければならない会議の場ではそれでは困るだろう、しかし事件は会議室で起こっているわけではない。
双方の意見が平行線を辿っていても、お互いの行動が『直交』している限りそれは並行世界の出来事だ。
『人間は死なない』世界が隣にもう一つ有ったとして、目くじらを立てる程のこともあるまい。

ここは一つ多世界解釈でも平穏な心を取り戻そうではないか。